2018年 海外障害者施設視察(ラオス人民民主共和国)
日 時:2017年12月31日~2018年1月6日
場 所:ビエンチャン市内およびムアンシン地域
参加者:施設長 李在一、評議員 村林 秀紀
目 的:海外の障害者施設視察
1 「ラオス障害者女性開発センター」について
「ラオス障害者女性開発センター」はラオスの首都ビエンチャンから車で2時間ほど走ったところ。車で2時間といってもビエンチャンの郊外であり、街の雰囲気はまだ首都の範囲。ラオス全体として首都であるビエンチャンとそうでない農村集落との差異はきわめて顕著である。この「ラオス障害者女性開発センター」という施設は日本のNGOであるジャイカの協力により建設されたことが記されていた。東南アジアの福祉におけるインフラに関わるジャイカの貢献頻度はかなり注目を引くように記されていることが多い。これが日本の国益とどのような因果関係があるのかと思うと考えるだけで気が重くなる。ジャイカの資金は基本的に日本の税金から拠出されており、その恩恵を受ける可能性は海外進出する日本の大企業、しかも利益は内部留保に積極的であるという循環からは、少なくとも国益における公益とはいいがたいからだ。
さて、障害者開発センターが女性に限定されていることもラオスの社会状況が色濃く反映されている。それは社会的に女性が差別されているという単純な理由からではない。障害者であっても農村国家のラオスでは何かしらの役割が準備されているのに比べると、女性は本当に社会的役割から排除されるだけの存在となることが多いという。だからこそ女性に限定して、障害のある女性であっても社会の中で尊厳をもった存在として生きていけるように、自立に向けて女性に様々な技術を半年かけて研修をするという。ラオスの各地からここにやって来る利用者たちは60名で半年をかけて卒業するという。つまり1年間で120名ほどがこの施設で技術を取得して、それぞれのふるさとに帰っては取得した技術を広めていくのだという。予算は衣食住が保障され半年間で一人日本円にして10万円ほどだという。
様々な技術が研修されていたが特に注目したのは紙すき技術であった。当法人から視察に同行した村林氏は紙すきに造詣があり、日本の市場に十分に耐えうる商品価値があると評価していた。私にはよくわからないものの、確かに絵柄もしくはデザインには、日本にはないラオス特有のあたたかさがあり、そういうものでカレンダーをつくれば確かに日本においても商品価値はあると思われた。
2 ラオスの少数民族をたずねて
ラオス国営航空でビエンチャンからプロペラ機にのりかえルアンナムタへ向かう。そこから車で4時間ほどかかったろうか。ムアンシンをめざす。この車の道程が懐かしくも凄い。道が整備されていないというより時おり穴ぼこがあって無理に眠ってやり過ごそうとする意識を吹き飛ばさせてくれる。日本ではこういう道は幼少の頃のかすかな記憶にしかない。ウルムチから上海までシルクロードも旅したが、まだそっちのほうがはるかに整備されていた。
2018年の1月2日、そこラオスの道中は日本の四季でいうとまちがいなく真夏でしかも山岳地帯におけるおいしげった密林の中を続いていく道のりがあった。その途上で出会った旅の記憶から紹介したい。あたかもまったく関係のない世界において「福祉」という人間に共通する点が実際にどうなのかという考察はそれなりに意義があるかも知れない。
このあたりにはアカ族という少数民族の村々があるというが、アカ族以外にも各少数民族が生活しており言語もそれぞれに微妙に異なるらしい。私たちはここで学校や福祉施設に類するものの視察と称した旅というわけだ。日本からの観光客はめったに来ないという点がなんとなく心地よい。
さて、通訳の問題もあるかも知れないが、このあたりでは総じて日本でいう「知的障害」という概念は確立されていない。農業国であるこのあたりではそれは必要ない概念なのかも知れない。大家族で構成されている一族たちは、それぞれに役割分担を持っており、障害のある者は親族や一族たちでいっしょに生きている。これはフィリピンのセブ島でも同じであったが、おそらく地球規模でみると家族構成から社会の成り立ちまで、日本も含めてむしろ先進国と呼ばれる、ごく限られた一部の豊かと称されている地域のほうがそもそも不自然なのではと思えてくる。共に生きることが「共生」として求められる地域と、それを言い出す必要がないほどすでに共生で満たされている地域とでは、おそらく後者のほうが御心に沿った地域ではあるまいか。人間を疎外するシステムをつくり出した社会だからこそ、「福祉」という概念が必要とされるのではあるまいか。豊かさとは裏腹に優生思想で満たされた社会の歪さに対する理解はどうあるべきなのか。
こういう疑問が現地の人々とふれあってみると、本当のところふつふつと湧いてくる。人としての普遍的な価値基準についてゆさぶられる、そういう体験は私たちにもっと必要ではあるまいか、改めて考えさせられたラオスであった。
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